中小企業の後継者問題

九州と加唐島の連絡船


1.加唐島の親父さんとの出会い


先日、加唐島へ旅行に行ってきた時のこと。
佐賀県にあり、漁業が主な産業、島民約100人の小さな島。
島の旅館(民泊?)にお世話になった。その旅館は親父さんとその家族で経営されており、兼業(?)の漁師の親父さんの新鮮な刺身が自慢の料理。


この島も例外なく強烈な過疎化が進んでおり、島民は激減している。若者は皆、都会に出ていき、戻ってくる様子はないという。数年後に島民がどれだけ残っているのかが不安だ。しかし、この親父さんの息子さんは島でも珍しく島に残り、漁業を継いでいる。親父さんに聞いてみた。どうやって息子さんは親父さんの跡をつぐようになったのかを


親父さんの料理


2.親父さんの教育


親父さんは息子さんが小さな時から洗脳するように俺の跡を継ぐように言い続けてきたらしい。「お前の好きなようにしてよい」とか「なんでもやってよい」と言って育てると必ずこの島から離れていく。そんな教育は俺はやっていない。俺もそのようにして育てられたし、俺も息子をそのように育てた。先祖から引き継いだこの島と海を誰かが守らなければならないから、と。


親父さんの教育は、居住移転の自由や職業選択の自由を教えている学校の教育とは異なる。しかし、この親父さんの教育で、この島や海が守られていくような気がする。大都会で、人気の職業に就き、標準化された仕事をこなし、高収入を得ることを目的に田舎をでる若者が多い。過疎化する場所で、体力を使う職業と比較すると、どちらを選ぶかは明白であろう。


年齢を重ねると、「人生のなかでやっておかなければならないことがある」と、考える時期があると思う。そう思ったときに島へ戻ってきたり、移住したりするようになるのかもしれない。そのときまで、その場所や職業といった環境を誰かが守っておかなければならないし、親父さんと息子さんはしっかりと加唐島の環境を皆のために守っているように思えた。


親父さんの料理


3.仕事への意識


私の20代頃は、いかに楽か、いかに高収入かを考えて仕事を探していたような気がする。それが30代になると、仕事への「やりがい」や「自分を認めてもらいたい願望」に仕事への意識が変わった。また、40代になると「自分の仕事の貴重さ」や「社会への貢献」を考えるようになった。島の親父さんは仕事や人生を「先祖と子孫をつなぐ」「島や海を守る」「島に仲間が戻ってくる」ことを考えているように思えた。


加唐島の猫


4.北九州への移住


私は東京で仕事をしていたが、20年前に北九州へくるチャンスがあり、北九州へ移住した。この20年でこの周辺も大きく変わった。近くの工場も次々と閉鎖され、子供の数もずいぶん減った。あと20年もすると、どれだけの人がこの地域に住み、どれだけの職があるのだろうかと思うようになった。


私の決断が遅ければ、チャンスを逃し、まだ東京にいただろう。そしてここに住む環境も無くなっていたであろう。今の私にできることは、ここに来たいと思っている人にその環境を少しでも残しておくことだと考えるようになった。おそらく、加唐島の親父さんと息子さんも同じように考えているのではないかと思えてならない。


北九州においても過疎が急激に進んでいる。近所では高齢者が多く住み、地域の活動がまだ活発的に行われている。そのすべての活動はボランティアである。年末年始になると息子や娘、孫が帰省する。地域の高齢者も同じことを考えているような気がする。


加唐島の夕日


5.任務


私ども会社の取引先においても後継者不在という問題が多くある。子供がいるけれども大都会の大企業に勤めて戻ってこないケース。従業員に社長業を任せようとしても、今の簡単な仕事が良いと断られるケース。


美味しい魚も簡単な仕事も、それを与えている人の存在を忘れているような気がする。守る人がいなければ、帰る田舎も、美味しい魚も、簡単な仕事も、無くなってしまう。今の環境があるのは与えてくれた人がいてくれたからあり、あふれる能力があるにも拘わらず、与える側になりたくないというのは残念である。


With great power comes great responsibility
(大いなる力には、大いなる責任が伴う )
ある映画での好きなワンフレーズである。


あなたが居なくても何も変わらない環境よりも、あなたを本当に必要としている環境で、自分の能力を使おう。
自分のためだけでなく、その地域に住む人やその会社で働いている人のために、一肌を脱いでみよう!


呼子の港


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